【雑記】Gacha Popとhyperpop

「Gacha Pop」というSpotifyプレイリストが話題になっている。

ニコニコ動画文化を継ぐ歌い手出身者、SSW、アイドル、ラッパーまで雑多な日本語圏のポップスをまとめて「ガチャ」と称しているわけだが、つまり日本的で現代的で雑多であるということ自体を定義する名称として持ち出されたのがそれである。

open.spotify.com

まだできたてホヤホヤで、なおかつ数千数万あるうちのたったひとつのプレイリストにああだこうだ言っても仕方ない気もするが、(筆者も含め)みんなが言及したくなるのは最近のヒットソングの"わからなさ"を説明してくれるような、業界構造の変化に対応した切り口っぽい雰囲気があるから。以下雑文。

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Gacha Popのラインナップは、YouTubeが情報ソースとなっている海外のJ-POPキッズがDiscordサーバーで共有しあう楽曲群のような脈絡のなさがある、と筆者は思う。

おそらくは、スパイファミリーでも鬼滅でもいいがアニメ作品から日本の現代文化に接近し、動画サイトで知った米津玄師とBUMP OF CHICKEN千石撫子竹内まりや凛として時雨を同等に愛好し、アルゴリズムというブラックボックスからガチャを引き続けるキッズたちだ。

キッズらは引き当てた音楽が日本語で歌われるならそれを「J-POP」だと考える。しかし日本の当事者らは「J-POP」は「J-POP」で、「それ以外の何か」は「それ以外の何か」だと考える。であれば、Gacha Popはその溝を埋めるためのものである。

以下はSpotify Japan芹澤氏へのインタビュー記事だ。「K-POPの戦略性」と比較されているあたり、ハナから外貨獲得を企図したプレイリストだというのは間違いない。まず表題には「日本の音楽を海外に発信するための新たな動き」とある。「ガチャ」とは海外向けにパッケージされた商品である。この名称はむしろ梱包作業を行う側、従来的なJ-POPとそれ以外を区別する側の人間にベクトルが向いているような気もするが、そういうビジネス都合の言葉なんだろう、たぶん。

rollingstonejapan.com

ここ数年、ストリーミングサービスの浸透と発展により、日本の楽曲が同時多発的に様々な国でバイラルし、世界中で聴かれるようになるという現象が起きています。そしてその拡散の過程で、楽曲と直接関係がなくても、アニメと隣接する表現と共に広がりを見せることが多い、という共通点があるようにも感じました。(上記事より)

この点に関しては筆者が弊ブログに書いた「たかやん」という歌い手/ニコラップ出身のアーティストに関する論考と通づるところがある。たかやんはある時期から二次元表象をまとい、「アニメ的」なルックを手にしたことが海外で聴かれるようになった勝因のひとつになっているのではないか、と分析した。興味ある人はぜひ読んでほしい。なお、たかやんもGacha Popにリストインしている。

namahoge.hatenadiary.com

このように二次元表象を援用し動画サイトを中心に人気を集めてきた、いってしまえばボカロ歌い手文脈のアーティストを並べたプレイリストとしては、以下の「太陽を見てしまった」がある。タイトルが秀逸だ。ブルーライトばかり浴びている。同プレイリストはもともとフューチャーベース系が集められていたそうだが(人づてに聞いた)、ネットレーベル文脈にボカロ歌い手文脈が被さって現在の形になっているというのは興味深い。

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このラインナップを見てわかる通り、Gacha Popと被るアーティストが何組もいる。Gacha Popはこうしたアニメカルチャーと隣接したネット文化圏の要素を抽出し、「日本的な何か」とみなしている。むしろこれがプレイリストの基調となっていると感じる人は少なくないのではないか。

Gacha Popに選曲されるほかの文脈を確かめていくと、TikTokバズ楽曲やすでに海外で地位を獲得したアーティストが並ぶが、筆者がなんとなく違和感を覚えたのはヒップホップを出自に持つラッパーだ。

というのも、ちょうど直前に見ていた以下のアワードの存在がある。ディストリビューションサービス・TuneCoreによる2022年「インディペンデント・アーティスト・アワード」であるが、既存のルートに頼らず現代的な音楽流通形態に取り組むアーティストら──ボカロ・歌い手とラッパーが混在する──のラインナップはGacha Popのそれと少し異なる。

www.tunecore.co.jp

ネットカルチャーぽいインドアぽい人らとゴリッとタトゥーの入ったラッパーが入り乱れるのは異様な絵面であるが、これこそガチャ的なようにも思える。しかしGacha Popに入るヒップホップ勢は、なんというか文化系というか、ハードでなくて恐い印象のない、それに女性ラッパーが多くて雄々しくない、そんな傾向がある。

ここにキュレーションの手付きが感じられる。なんでもありってわけでもなくて(そりゃそうなんだけど)、平和的で中性的な「日本的な何か」。別に野蛮さを積極的に擁護したいのでもないのだが、どうも違和感がある。

命名は、言及するという中立的な行為ではない」というのはマーク・フィッシャーの言だが、やはりGacha Popも恣意的な命名行為であり、「余剰価値を生む」。こうなるとジャンル的な何かが立ち上がってくる気がしないでもない、というのは多くの音楽ファンが期待したり危惧したりするところなのだろう。

Spotify命名によってジャンル化された事例としてはhyperpopがある。音が割れたり声がピッチアップされたり、デジタルにハチャメチャな音楽である、と一旦は雑に説明しておこう。興味のある方は、手前味噌だが以下の拙稿を。

note.com

同プレイリストについてもジャンル名を押し付けられたアーティストらが強く反発を示した事実は重要だ。しかし、こうした事態が起きたのも、たしかにhyperpopプレイリストに並ぶ楽曲群に一定のスタイルがみとめられ、少なからず同一のシーンを共有していたからこそ、hyperpopというレッテルが有効になったのである。そしてだからこそ、自称を塗りつぶす他称を突っぱねたともいえる。このあたりに関しても詳しくは手前味噌の乱用。

fnmnl.tv

一方でGacha Popに共通のスタイルとシーンを見出すことはできるだろうか? 超大雑把にネットカルチャー的で、すごく漠然と2020年代という時代を抽象化した概念として成立しているようにもみえるが、しかし、個別の対象に当てはめるには曖昧すぎて使い物にならない。

であれば、あくまで筆者の想像だが、作り手からしても「勝手に括んなや!」という怒りは湧いてこない気がする。文化的な枠組みを設けられたというより、シンプルに販路を用意してもらったという感覚が上回るのではないか、と思う。筆者も知り合いのアーティストが選曲されれば普通に祝福できる気がする。

そういう意味で、命名のしたたかさというか、空虚さというか、そこに規定された「日本的な何か」という弱い圧力を忘れさせるくらいの便利さがあるのだろう。

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そういえば。現在プレイリストのトップを飾るYOASOBI「アイドル」について「これはhyperpopを通過したアウトプットなんじゃないか」という指摘が少し前にじんわり話題になった。正直にいって頭を抱えた。一年前に某Podcastで有名な批評家・ジャーナリストらが「YOASOBIはhyperpop」だと盛り上がっていたことがあった。やはり頭を抱えた。

今となっては「それはGacha Popなんじゃないですかね〜」と対応できるかもしれない。そうした方が穏便だ。何も捉えていないが何かを捉えた感じにできる。広告の人間が言う「時代のトリガー」とやらに追加した方がいい。

問題は、先のインタビューでhyperpopもGacha Popに内包されることが示唆されていたことである。たしかに、Gacha Pop的な時代感覚を極度に先鋭化させたものとしてhyperpopがあるだろう。しかしこれを入れ子構造として提示されると、こまやかな音のきめまで奪い取るような言葉のちからを考えざるを得ないというか。

hyperpopを希釈したらGacha Popになるなんてことはない。Gacha Popを煮詰めたらhyperpopになるわけでもあるまい。でも現に、hyperpopをフックにYOASOBIを論じようとする者からは、Gacha Popと同様の大づかみで語ろうとする気配がある。

またはhyperpopが影響してGacha Popが形成されたなんて言説が今後はびこるかもしれない。同時代的に隣接していただけなのに、あたかも連続的な歴史として。それははっきりいって無理がある。先回りして気にしすぎかしらん。まあ雑記なのでお気持ちを記しておきます。

全然しらんけど、Spliceに「Gacha Pop」のサンプルパックが出てくるようなことがあれば、諸々あらためて考えた方がいいかもしれない。以上。

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[追記]Mastodonフレンズでボカロ識者のFlatさんが、RYMの「Yakousei」がボカロ歌い手文脈にとどまらずポルカドットスティングレイ、さユりフレデリックchelmicoなどがカテゴライズされていてガチャポに先んじていた、と指摘されていたので置いておく。

https://rateyourmusic.com/genre/yakousei/