2022年12月のA.G.Cookの奇妙なステートメント和訳

前置き

英ネットレーベル〈PC Music〉が創設10周年の2023年をもって活動停止することを発表した。 

https://10.pcmusic.info/

同レーベルオーナーのA.G.Cookは「ハイパーポップの始祖」とも囁かれているが、非実在的な恍惚のテクスチャー、ポップを誇張したポップさといった、やはり2010年代以降のインターネット音楽シーンの進歩的かつ皮肉な美学を牽引していたことはよく知られている。

ある種の時代精神を先駆けた軌跡を、丹念に描写する仕事が必要とされている気がするが、ほかの誰かがやってくれることを期待する。

本稿では、活動停止を発表する半年前、2022年12月に公開された「Away From Keyboard - PC Music livestream curated by Ö & A. G. Cook」というライブストリームから、不気味なBGMとともにA.G.Cookが一人語りをするパートを抜粋し、和訳する。

ドキュメンタリー番組のようないやに神妙な語り口でA.G.Cookが告げるのは、音楽を巡るテクノロジーの変遷であり、過剰な修辞を伴った衒学的な歴史描写である。

ギリシャ神話で音楽を司るアポロン神とSpotifyのダニエル・エクが直線で結ばれ、『2001年宇宙の旅』の有名な猿人類が骨を投げるカットが挿入され、T-Painのオートチューンにつられてナレーションごとデジタル化してしまうこの映像は、ある種のアジテーションじみた緊迫とナンセンスな諧謔に満ちた怪作となっている。

ちなみにイベントに題された「Away From Keyboard」というタイトルは〈PC Music〉の解散と紐づけて考えてもいいかもしれない。「AFK」とも略されるこの語は、日本語でいう「落ちる ノシ」みたいなもので(やや古いかもしれない)、A.G.Cookが当のシーンから降りる照れ隠しのステートメントとして解釈することもできる。

ともあれ前置きはこんなところで、10分程度の映像なのでぜひみてほしい。

なお訳出はある程度AIに頼りつつある程度意訳している上に、字幕もなくてAI8割と耳2割でがんばったので、間違っている箇所があればご指摘いただけるとありがたい。

和訳

Away From Keyboard - PC Music livestream curated by Ö & A. G. Cook - YouTube
※埋め込み許可がない?ため、上記URLから[1:42:34 - 1:54:23]を再生してください

カットイン:アーサー・C・クラークのインタビュー

──あなたは2000年までに人工知能が開発される可能性を示していますが。

アーサー・C・クラーク:多くのコンピューター科学者は、今世紀末までには、どのように定義しても知能を持つ機械が開発されるだろうと考えています……

SF作家で未来学者のアーサー・C・クラークは、1968年に『サイエンス』誌に寄せた手紙の中で、彼の第三の法則であり最も有名な「十分に発達したテクノロジーは魔法と見分けがつかない」という言葉を残している。

音楽──芸術のミューズのうちのひとり──は、人類の夜明けから我々を魅了してやまなかった。

アステカ神話の音楽と悪戯と欺瞞の神・ウェウェコヨトルは、人の手足を持つ踊るコヨーテの姿に化けたトリックスターであり、変幻自在で、ストーリーテラーだった。

ギリシャ神話の知と音楽の神・アポロンは黄金の嘘つきだが、自然と豊穣を司る田舎じみた牧神パーンと音楽で決闘し、ミダース王のみが審査できるコンテストに挑んだ。*1

Spotifyの共同設立者でCEOであるスウェーデン人のダニエル・エクは、音楽ストリーミングに長年に渡る全知全能の慈悲深い力を与えた。

カットイン:ダニエル・エクの言葉

Spotifyでは、あなたがミュージシャンとして民主的に勝利することを真に望んでいます。なぜなら、あなたの音楽は最高の音楽だから。

しかし、音楽とテクノロジー、エンターテイメントを巡るこの物語は古く遡る。旧石器時代中期、現在ではスロベニアと呼ばれる山岳森林地帯に隠された洞窟から始まるのだ。

1995年にDivje Babe遺跡で発掘されたフルート──4万年前に作られ、ネアンデルタール人のフルートとして知られる──は、ホラアナグマの大腿骨から彫り出されたもので、心地よい音列に空気を分けるための穴が開いていた。

音楽は人類の骨の髄まで染みていて、そして人類の原始の音は洞窟で鳴り地球の内側にまで届いていた。

何千年、何世紀もかけて墓穴は聖堂に変わり、聖堂は大聖堂に変わり、反響する声は天国へと近づいた。

やがて、人々の合唱をも圧倒する壮大なパイプオルガンが現れる。ふいごとフットペダルは私たちの音域を拡げ、文明の偉大な王に恩恵をもたらすキーボードが機械化されるのは時間の問題だった。

[音色がピアノに]

18世紀初頭、イタリアの職人でありメディチ家の楽器を管理したバルトロメオ・クリストフォリは、強弱のつけられるヒノキの鍵盤、すなわちピアノ・フォルテを作る。そのピアノの独創的なハンマーとダンパ(空気流量制御弁)によって、ソロミュージシャンはスケール、ダイナミクス、パワーをコントロールできるようになった。

[ストリングスが加わる]

一方、作曲家たちは自らの私兵を集めていた。欧州の巨大なオーケストラは、弦楽器、木管楽器金管楽器、さらにそれ以上に分けられた10人から30人、60人、100人以上の奏者を擁した。

木管金管、打楽器と吹奏楽器、完璧に調律された食材の大鍋は、作曲家や指揮者の気まぐれに従い、芸術のミューズたちを宮殿から公共へと還元する。

大衆芸術となった、氾濫する感覚のスペクタクル。

私たちが現代に向かって邁進した頃、19世紀の悪名高き作曲家で楽劇王のワーグナーは、オーケストラの新たなテクスチャーを用いた「ゲザムトクンストヴェルク」を構想した。つまり、オペラと戯曲を通して芸術的宇宙を統一しようと試みたのである。

言葉、音楽、演劇、舞台演出、そして魔法が、めくるめく観客の前で火花を散らす。

これが私たちの知る「マルチメディア」の始まりだった。

[音色が朴訥なコンピューターサウンドに]

マイクロフォンからスタジオ、マイクロプロセッサに至るまで、人類の歴史に登場したあらゆる楽器は、今やごく普通のコンピューターで複製、サンプリング、モデリングできる。

ワーグナーのオーケストラさえ、アップルの「GarageBand」やマイクロソフトの「Songsmith」と比べたら見る影もない。

カットイン:T-Painのインタビュー

──『D.O.A.』。 Death Of Auto-Tune。

T-Pain:俺にはオートチューンしか聞こえなかった……それと「Death」。

─(爆笑)

T-Pain:それだけさ。言っている意味わかるだろ? だから、もちろん、それが俺のテクニックだし名を知られたワケだよ。だからその死を耳にしたらさ、ワーオって感じなの。

T-Painの死と同じように受け止めたんだね。

T-Pain:そう、わかるだろ?

オートチューンは1990年代に発明されたが、音楽産業で最大の企業秘密の一つとして公には隠されていた。このエフェクトは、最終的に2000年代後半にT-Painによって擁立されたが、彼はその先駆的なスタイルの代償を払った。

[ナレーションがオートチューン化]

オートチューンへのバックラッシュ、ボイコット、バッシングが常態化し、アーティストらは「T-Pain Effect」から自らの真正性を守るために列をなした。

だが、パンドラのピッチシフターの箱は開かれ、ヒットチャートを捻りのきいた電子的魅惑のボーカルエフェクトで席巻したばかりではない。

それどころか、その効果は真にユビキタス化した。

道具であり、ウィルスであり、救いの手だ。

人類が自らの発明品に絶えず脅かされる世界で、私たちの歌声が、原始的な純粋さの最後の息吹を象徴するようになったとしても不思議ではない。

しかし、音楽とテクノロジーの関係は深く共生している。

テクノロジーは私たちの芸術や文化を歪めるために使われるかもしれないが、音楽はその後ろに横たわるサウンドトラックであり、ジングルであり、常に私たちの現実認識を操作する準備ができている。

MetaからMEGAUPLOAD、Siriからスーパーボウルまで、音楽はテクノロジーや企業に人間の顔を映し、カジュアルで親しみやすい人格を与える。

不可視の力、目には見えないけれどそこに在るもの。

音楽は私たちの文化を操作する手練だ。

[音色が以下の映画音楽の模倣に]

バーナード・ハーマンのストリングスがナイフのように切り裂いたのは、1960年のヒッチコックの傑作映画『サイコ』だ。

ジョン・カーペンターが1979年の『ハロウィン』でDIYしたスコアは、彼のスラッシャー映画に不穏を塗りつけた。

そして1996年には、ウェス・クレイヴンの目論見通り、『スクリーム』が観客の期待を煽った。

何も起きないことを予期して膿んだ、皮肉とアンチ・クライマックスの新しい文法。*2

フランスの哲学者Agnès Gayraudの2018年の著書『Dialectic of Pop(ポップの弁証法)』では、ポップミュージックの複雑なアイデンティティが、まさにその産業によって定義されていると語られている。

カットイン:Agnès Gayraudの言葉

録音されたポピュラー音楽は、映画や写真といった他の偉大な機械化された芸術の特性によって特徴づけられている…オリジナルとコピーの間の古典的な対立を置き換えるために、芸術作品というものを再定義する必要があった…また、産業や文化の中で大量に流通した結果である。

前世紀にわたり、映画は演劇から切り離され、写真は絵画から遠ざかった。

世界中の観客が、デジタルではなく機械的につながるようになった。

過去には考えられない品質のレプリカや複製品。

全国的な大ヒット映画を上映する地元の映画館。

収集家が喜ぶレコード、便利なカセットテープ、手つかずのCDを並べる地元のレコード屋

新聞からテレビまで、芸術は商品になっただけでなく、革命が起きた。

電話網と軍のデータベースから、私たちの愛するワールド・ワイド・ウェブが誕生した。

インターネットの全ては結ばれた複製。

そして、テクノロジーが私たちをつなぎ、束縛する一方で、音楽のサイレンは私たちを魅了し、ネットの中にどんどん近づけていく。

[BGM止む]

音楽を聴くのは久しぶりだ。

コンピューターのない音楽、

マーケティングのない音楽、

衛星のない音楽、

配線とスイッチとコンセントとスクリーンで埋め尽くされた壁のない音楽。

[BGM再開]

フランケンシュタインのマルチメディアの怪物は生きている。

ハイブリッド、サイボーグ、鏡の回廊。

薄気味悪いが、実在する。

パーソナルコンピューター・ミュージック、人格化。

音楽とテクノロジーはもはや切り離せない。

もうソウルメイトではなく、単にひとつの魂。

トリックスターの、音楽の神々は知っていたかのようだ。

ウェウェコヨトル、パン、エク、そしてその先。

芸術のミューズたち。

おまけ(1:52:27 - )

最後に鳥かごの中のインコが何か歌っぽいものを絶叫するのだが、筆者には聞き取れず、音声書き起こしAIのWhisperに任せたら以下のように書き出した。ここまでの話とリンクしすぎワロタ。せっかくなのでDeepLの対訳もそのまま貼っておく。

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Let the body step forward.
体を前に踏み出せ。

Let the body step back.
体を後退させろ。

Roar!
唸れ!

Let the body step forward.
体を前に踏み出させろ。

Let the body step.
体でステップを踏んで。

Roar!
唸れ!

Let the body step forward.
体を前に踏み出させろ。

Let the body step back forward.
体を前に後退させろ。

What's the big problem?
何が大きな問題なんだ?

Dreams.
夢だ。

What's the big problem?
何が大きな問題だ?

Dreams.
夢だ。

Nothing to do.
何もすることがない。

Roar!
唸れ!

Let the body step forward.
体を前に出せ。

Let the body step back.
体を後退させろ。

Roar!
唸れ!

*1:ミダース王は牧神パーンを支持したが、アポロンはキレて王の耳をロバの耳に変えた(童話『王様の耳はロバの耳』である)

*2:訳出に不安があるが、『スクリーム』はメタフィクションを取り入れた作品であり、スラッシャー的な音響を効果的に用いたといいたいのかも知れない(AGは好きそう)