underscores来日公演ライブレポ │ GET HOME SAFE

underscoresの5月26日の東京公演を見てきた。

行った感想ですが、パンミック以降の生がダイジェストとなって脳裏をめぐるので、バイクに轢かれてプチ走馬灯を見ちまったのかと思いました(バシャウマ並感)。

hyper hybridについて

underscoresといえば100 gecsのツアーで前座をつとめたりTravis Barkerのサポートを受けたりロラパルーザに出演したりで普通にすごい売れているわけなんだが、今回のイベントオーガナイザーのryoyaさんは「hyper hybrid」というイベントを主催して国内hyperpop / digicoreシーンと関わってきた有志の若い方で、どういう経緯でブッキングするに至ったのか気になるところである(ともすれば、DMひとつで実現したのかもしれない)。経緯はさておき、国内の草の根的な文脈と直結してしまったのは結果的に最高で、オーディエンスの熱量の高さを指摘する方がツイッターにちらほらいたけどその一因はこういうところにもある気がする。

Tennyson

最近精力的に国内在住アーティストとコラボしまくってるTennysonことLukeは、妹のTessとのデュオ(アルバム『Rot』までは兄妹デュオだった)で登場。DTMerなどにとってはAbletonでの制作を詳らかに見せてくれるありがたいストリーマーという印象もあるはずのTennysonであるが、この日自分が少し遅れて入場をすると、サーカスの地下から生ドラムを叩く音が響いてきて奇妙なノスタルジーNewJeansのAttentionの冒頭のライブハウスの音漏れみたいな)を覚えるのである。薄暗い照明の中で兄妹が演じるバンド的なものにアネモイア的なるものも感じながら、その不思議な感覚が際立つのは怪作「Doors」の時だった。そのMVのWeirdcore的意匠を思い出せば、この曲でリスナーは不可知のデジタルワールドにアクセスするわけだが、同時にそのスクリーンを通じてのみ過去のバンド・スターに触れてきたのが私達の世代であるからだ。そして、その深淵のハイパーリアリズムの舞台の上にすっくと立ち上がる声というのが、パンデミック以降の音楽だったのではないか、などということを考えながら、新世代のデジタルミュージシャン・lilbesh ramkoやsafmusicといった面々が舞台袖から出てくるのを眺めたわけである(最近safmusicらが立ち上げたコレクティブ「庭」でちょうどDoorsのライブ映像をアップしてたので拝借)

www.youtube.com

PAS TASTA

ウ山あまねの叫び気味のMCで紹介される「Locals (Girls like us)」の破天荒なリミックスに始まったPAS TASTA(昨年パスタは同曲の共演者gabby startと同じライブに出ている)。このチーム・サウンドギークを見たのはおそらく丸一年ぶりで、GW付近に連続したワンマンライブとPeterParker69の客演の時以来だった。B2B2B2B2B2Bの賑やかなステージであったが、hirihiriはバイレファンキリミックスを伝家の宝刀のように用いてOne Last Kiss→BIPP→Rambleでボルテージを上げ、一方でquoreeの水風呂のような時間もあり、質実剛健な感もあるphritz、グロテスクなサウンドで暗がりを深めるウ山、手数が多くキャッチーに踊らせるyuigotなど、それぞれにキャラが立った選曲(そこに1年の修練を感じる)をPAS TASTAの持ち曲で繋ぎあわせるというような構成だった。なんといってもよかったのは最後に流した未公開の新曲で、誰もが初めて耳にしたはずであるのにフロアが狂乱気味になっていたこと。決めつけるように言ってはどうかと思いつつ、共有されるアンセムを待って盛り上がるという構造が(特にライブでは顕著に)あると思うのだが、その未確認音楽がベッドルームの共通体験を突き破って皆を暴れさせるさまはなんとも痛快であった(もちろんクリシェ的なブレイクダウンの突破力というのもあるだろうが、これにもアネモイア的なものを感じなくもない。みんなして架空の記憶で頭を振るのである)。ただ、Kabanaguの流した音ゲーアンセム「Evans」での局所的な狂乱ぶりも、それはそれで感動するわけであるが。

lilbesh ramko

Tennyson、PAS TASTAといったDTMコミュニティとはまた少し違った出自なのがlilbesh ramkoだ。筆者は昨年のリリパのお手伝いをした以来の邂逅だったと思うが、やはりlilbesh ramkoがカッコいいのは、「関JAM」など地上波に紹介されて着実に大きくなりながらもなお、自らを育てた小さなコミュニティを常にレップする姿勢だ(そのリリパも、R-Loungeという小規模の箱で行われた)。すなわち、パンデミックを経たSoundCloudラップの新世代であり、Demoniaといったパーティを通じて登場した面々であり、この日もokudakun、kegøn、safmusicといったサンクラの仲間たちを丁寧に紹介しながら壇上に上げたlilbesh ramkoであったが(特にokudakunの紹介時は長めのMCで、「フォロワーが数人しかいなかった頃に…」と自身の過去を述懐した)、いまだSpotifyApple Musicに上がっていない「NAWHGANGSHIT」でフロアを沸かすさまなどは非常に印象的であった。

筆者がnamahogeとしてライターをはじめたばかりの2021年末から2022年上旬では、この日のような座組はとても考えられなかったように思う。だが、lilbesh ramkoらは必ずしもヒップホップ然としておらず、むしろDTMer的に自ら作曲して自ら歌うという折衷的なアプローチがよくみられ、反対に自ら歌うトラックメイカーも現れてきた(たとえばWave Racerがマイクを取ったことなど)ここ数年の時勢を鑑みることで、この合流を理解することができるかもしれない。それに、たとえばunderscoresはDemoniaでも聞いたし、PAS TASTAメンバーと話していても頻繁に名があがるようなアーティストだったのだ。2021年にウ山に取材した際にvqのネームドロップがあったり、2022年初旬のR-Loungeで初めて会ったlazydollに「Puhyunecoさんのインタビュー読みました!」とアツく言われたことなども思い出され、このように二分して記述するのも間違ってるような気もするくらいには近かったはずで、出会うべくして出会ったのだという思いも、もちろんある(こう書きながら、それがたった2年前という若いシーンであることもあらためて思うのだ)

underscores前置き

今回のライブセットはおそらく2023年9月の北米ツアー「Hometown Tour」、また同年11月から年末にかけて欧州を回った「Hometown Tour: The Away Games」の延長線上にあるはずだ。日本からオーストラリアに飛ぶ今回のツアーを併せて「town hall Asia-Pacific」と題しており、これらのタイトルも架空の町の名を冠したアルバム『Wallsocket』(2023年)にちなんでいるはずで、つまりアルバムツアーとしての側面があることがわかる。もちろん『fishmonger』(2021年)や『boneyard aka fearmonger』(2021年)からの選曲もあったが、ライブの主題を探るためには今回のアルバムそれ自体について触れるのが筋だろう。

アルバムタイトルに据えられ、ミシガン州に仮構された町・Wallsocketの作り込みには目を見張るものがある。まずunderscoresが用意したいかにも行政らしく古ぼけた公式ページにアクセスすれば、「町の歴史」として馬を中心に牧畜関連産業で栄えた町(馬蹄のモチーフ)が工業化により衰退し、近年になって新興テック会社の企業城下町へと変貌したことが記されるほか、「議事録」にはタウンホールで交わされた議論(ペットの管理法から重大犯罪まで)の記録が残っており、さらにワードプレス感の濃ゆい学生運営のニュースサイトでは子供のいたずら行為が暴かれ(記者の名前のFacebookLinkdinのページまである!)ママさんたちのコミュニティ掲示板で噂が飛び交い(架空の町の住人にunderscoresが叩かれている!)ピザ屋のキャンペーンサイトリンク切れを装ったフェイクサイトではデモ曲が聞けるほか、掲載された電話番号が有効だった期間には留守電の音声が流れた)スーパーマーケットのサイト企業のオフィシャルサイトなどと、インターネット空間に虚構を撒き散らすことでひとつの町を作らんと試みているのである。そして、まさかと思ってGoogle Mapで「Wallsocket」を検索すると、私達が何度もスマホの待機画面で見たはずの立体物が現れるのには驚いた(レビューに連なる「Good luck!」は当然、アルバム内で繰り返し用いられるボイスタグのことだ)

maps.app.goo.gl

この虚実入り乱れた情報戦(代替現実ゲームともいう)は、アルバム『Wallsocket』のプロモーションの一環(たとえばピザ屋の留守電でアルバムのリリース日を告知し、上の馬蹄彫刻のある座標が公開されたInstagramのポストはライブチケットを無料で提供するためのものだった。一連の流れはGeniusに詳しい)だったのだが、同時にアルバムの設定資料ともなっている。

『Wallsocket』の断片的な物語は、この町――アメリカ中部の裕福で保守的で退屈な町――に暮らす3人の少女が中心の群像劇として展開される。登場人物のひとりは、性自認と信仰の間で葛藤し、父親の窃盗事件に苛まれるS*nnyアスタリスクの記号は彼女の精神的な欠落を示しているそう)。2人目は、DCから田舎町に移住して心を閉ざす"町一番の金持ち娘"・Old money bitch(ファンの間ではOMBなどと略される)。そして、恵まれた家庭であるがゆえにS*nnyのような不幸を羨み、自分より裕福なくせに内閉的なOMBを嫌うMaraである。ストーリーをここで詳らかに考察するつもりはないが、〈Someday life will knock us off our horse?(いつの日か、人生は私たちを馬から突き落とすの?)〉というLocals(地元民)の叫びは、彼女らを乗せる馬上の鞍からの逃れがたさと、馬を降りてしまうことの不安とを重ね合わせて響いている。もっと抽象化していえば、これは町や家、そして肉体をめぐる「帰属意識(belonging)のアルバム」なのである("It's an alubm of belonging"とはNME誌のインタビューで語られる)

town hall Asia-Pacificツアーメインビジュアル

そんな彼女が日本語圏においてどう聞かれているか、「サウンドがヤバい」という一面に寄っているフシもあるが、たしかに、こうしたコンセプチュアルな作品像を立ち上げるのに言語に依るところが大きく、その壁が高いのは事実である。しかし、その言葉たちとぴたりと一致するような音楽を彼女が持っていることを、私達は知っている。

遡れば、2016年に〈Mad Decent〉のサブレーベル〈Good Enough〉で初のEPをリリースしたunderscoresは(その時16歳である)SoundCloudのベースミュージック・コミュニティでキャリアを積んでいく(国境を超えた関わりでいえば、curryriceにてYunomi & nicamoq「インドア系ならトラックメイカー」やソロにてNujabes「feather」のリミックスなども手掛けている)

当時を振り返ったインタビューの発言で面白いのは、「UK由来のEDMがアメリカに渡ってきたことで、誰が一番クレイジーサウンドを作れるかというdick-swinging contestになるくらい、私たちはEDMを変質させてしまった」せいで、「EDMはクラブで聞くものではなくなった」。UKにあった頃のEDMは"murky(どんよりした)"だったというが、彼女が熱中したルーツとして、渡米して"clear(晴れやか)"になったEDMがある。そして、100 gecsの衝撃的な登場により、「そのシーンにいた全員が肯定された」。前作『fishmonger』から『Wallsocket』にかけてのあけすけで申し訳無さのかけらもなくそのわりに見事なジャンルの越境はここに端を発している(2020年のEP『character development』でもアイディアフルでポップなジャンル横断を行っているが、それが強烈な爆発力を備えて実現したのが『fishmonger』なのだといえる)

かつてunderscoresがベッドルームでバカほどラウドなサンクラEDMを聞いて憂さ晴らしをした体験というのは、Wallsocketを出て新たな道をゆく3人の少女や、コロナ禍に「Spoiled little brat」を聞いた私達も知っている、常識や規範を打ち破るもの、さらにいえば、町や家、肉体への「帰属意識」を晴れやかに崩していくものだったはずだ。だから、underscoresがひとりエレキギターを引っ提げてステージに立ったのは、その経験を再演するためであったのだと、筆者は理解する。

underscoresライブ

ライブをかいつまんで振り返っていく。開幕にプレステ時代チックなローポリな寸劇(映像作家Carlosknowsnotによる作)が上映されると、疾走感のあるポップ・パンク曲「Cops and robbers」(S*nnyの父が窃盗犯罪をする歌である)とともにunderscoresが登場。ステージ上には大型の電灯が吊られていて、これも郊外の町のだだっ広い家に備えられていそうなアイテムか。電灯が活きるのは、デジタル・カントリーな弾き語り曲「You don't even know who I am」の時だ。これは恵まれた家のMaraが不幸な家のS*nnyを羨み、自宅に侵入して勝手に服を着ては「今日は人生最高の日だ!」と高らかに歌い、その歌声に強いデジタルクワイアのかかるヤバい曲なのだが、この時underscoresが吊り電灯を手で揺らし、その輪郭をまどろませる演出とも似た、自ら選択的に境界を撹乱する歌である。

面白かったトピックのひとつは、彼女の制作部屋に招かれたかのような唐突なキャリブレーションテストと、その後のクラップの応答である。「右側の参加者の皆さんは次のリズムで拍手してください」との日本語音声(この映像を作ったnoahのツイートによればPAS TASTAのphritzが和訳を担当したそう)でクラップを求められ、絶妙にズレたリズムに置いてきぼりのフロアに軽く笑いが起こるのだが、その後「ステージをご利用の方は次のリズムで手拍子をお願いします」と、よくわからないアナウンスをされると、困惑するフロアに対してunderscoresがビリビリくるギターストロークで応答。彼女のユーモラスな側面があらわになる一幕であったが、日本公演のための律儀な演出に思わず嬉しくなってしまう。

ひときわコール&レスポンスが盛り上がったのは「Old money bitch」や「Johnny johnny johnny」で、やはりミュージカルチックな曲構成が功を奏しているようだ。それから前半部で共に叫ぶのが楽しい「Geez louise」であるが、7分もの超大なスケールでメタル・ハードコアからオルタナ・カントリーアンビエントシューゲイザーと目まぐるしく展開するこの曲は、実のところ歴史を憎んでヤケクソ気味にシャウトする歌である。フィリピンにルーツを持つS*nnyは敬虔なカトリックの家に育つが(このプロフィールはunderscores本人と一致する)、彼女の性自認と相容れない信仰のもとを辿れば、フィリピンを属領としたスペインの植民者たちに由来するのである。収奪されたままのアイデンティティが電子の海に落ち込んでいくようなデジタル・シューゲイザーの轟音は、「Uncanny long arms (with Jane Remover)」ニュージャージー生まれのJaneもまた郊外をテーマに制作に取り組む一人である)に引き継がれる。ここの映像ein作)では、延々と続く平野の町の家々が宙に浮き、瓦解し、そしてデータモッシュの波に飲みこまれていく。この壮観に、私達は立ち尽くすしかない。

呆然とする観客に「今日はありがとう」とunderscoresが締めくくろうとすると、エピローグ的な夜の車窓の映像が流れる。『Wallsocket』は、なけなしの電車賃を握った少女たちが町を出ることで幕を閉じるのである……しかし、underscoresは私達を置いて去らない。彼女がここまでに演じた開放を、きわめてキッズ的(Locals)な形でフロアに還元する。つまり、(勝手に呼ぶが)パンデミック・アンセムこと「Spoiled little brat」のモッシュでなにもかもを馬鹿馬鹿しいエネルギーの渦の中に押しやってしまうのである。

そして、念押しのボーナスタイム的な「Locals(Girls like us) [with gabby start]」で最後の力を使い果たし、虚脱する私達に見せつけられるのが、スクリーンに映された「GET HOME SAFE」。

「気を付けて帰ってな!」と言われても、散々家とか町とかぶち壊しまくった後には、「どこに?」と思ってしまうわけであるが、現にモッシュで痛めた首を気にしながら自宅で原稿を書く自分がいる。

思うに、underscoresは「帰属意識」というものに、嫌なら出てしまえというようなラディカルな気概を示す一方で、膨大な設定資料を架空の町に与えて自らの分身を住まわせたり、いまだにSoundCloudコミュニティに愛着をもって接していたり(実はサブスクとサンクラでエディットが違っていたりする)、どうにも手放し難さを感じているのである。たとえば、どこにも帰りたくないけど、どこにも帰れないのだとしたら……?

あてもなくWallsocketを出た少女たちに向けて、underscoresは歌う(「Good luck final girl」)

〈Good luck final girl, I hope you get what you deserve〉
(がんばれ最後の少女、報われることを願う)
〈No one's gonna do your job for you〉
(誰もあなたの代わりはできない)
〈After all, that's not how this thing works〉
(結局、そうはいかないんだよ)

だから「帰属意識」に苛まれる誰かに、とにかくなにか言えることがあるのだとしたら、それはたしかに「Good Luck!」しかないのかもしれないが、あの日私達が見たのは、もう少しパーソナルな願いが込められた、きっとどこかに帰れますようにという意味での「GET HOME SAFE」だったのかもしれない。(了)

食らいすぎて再生機器も無いのに買ってもうた